先月、母親から身に覚えのないことで文句を言われ、本当にイヤになった。
そしてどうしたらこの母親と心の距離を置くことができるようになるのか、それを真剣に考え祈った。
親に依存して甘えているからというのは分かっていた。
でも何をどうしたら甘えなくなるのか依存しなくなるのかが分からなかった。
その後色々調べているうちに「精神的な親殺し」と言う言葉に出会った。
親を殺す?精神的に?心の中で親を殺すということ。。。
私には親は必要ない、親はいないものだと思えということか?
どういうこと?どういうこと?考え続けた。
- 大人になった今でも親の許可をもとめている私の心
- 理想の親を追い求め実際の親との違いにいら立つ私の心
- そこで親を殺してみた
- イメージの中の本当の親
- 私は生きるには親の助けが必要だと思い込んでいた
- 色んなブログで書かれていたことを心で理解できた
- 彼女は母親ではなく一人の哀れな老女になった
- もう私に親は必要ない
大人になった今でも親の許可をもとめている私の心
自分の行動規範となっているものは親から教わったもの。
親から押し付けられたともいえるだろう。
何かをしようとすればそれが正しいのか間違っているのか、許可を出すのは心の中の親だということに気づいた。
親はもう年寄りで私に頼ってきているのに、私はいつまでも心の中では子供で親を求めていて、私ひとりでは何も出来なくて親の許可を必要としていたのだと気付いた。
理想の親を追い求め実際の親との違いにいら立つ私の心
加えて私の親はとても素晴らしい人で優しくて絶対に間違うことはないはずなのに、実際の親は皮肉ばかりを言い意地悪もするし私に頼るし子供みたいだ。
私は理想の親を自分の親に求め、理想通りでないことに腹を立てていただけだと気付いた。
どうして○○してくれないの?どうしてそんなこと言うの?親なのに!!
そう思って腹を立てる小さな子が私の中で怒っていたのだ。
そこで親を殺してみた
そこで親を殺してみた。←精神的にね、心の中でね。
私には実際の親はもう必要ないと思うようにした。
これは自己催眠のやり方で小さな自分をイメージし、その子にもう自分で判断出来るでしょ、あなたは大人なんだよ。親は必要ないんだよ、と言い聞かせる。
そしてそのほかにも私の理想の母親に甘え、実際の母親を隣のおばさんと位置付け、いつも疲れた可哀想な人、とした。
そして理想の母親(私自身)と会話する。
私が好きなことをしているときに理想のお母さんが私に買い物を頼んで私が断っても、怒らずに私を受け入れてくれて「分かったよ。」と言ってくれる場面。
その後、私が「お母さん、ごめんなさい、ひとりじゃなくて一緒にお母さんと買い物に行きたいの。」と言うと「分かったわ、じゃあいっしょに買い物に行こう。」と家事を中断して一緒に出かけてくれる場面をイメージした。
イメージの中の本当の親
理想の母親と手をつないで歩いているとき、隣のおばさん(実際の母親)とすれ違う場面を想像し、隣のおばさんが疲れた顔をして挨拶もしないそんな場面で。
「あのおばさん疲れてるね。」
「そう、だからかえるちゃんにひどいことを言ったけれど、本当は可哀想な人なんだよ。許してあげようね。」
こんな風にイメージの中で私は自分を理想の母親にして本当の母親は隣の疲れた意地悪なおばさんにした。
すると、私には優しい母親がいてしかももう大人で親を必要としないんだと思えるようになってきた。
具体的には、今までは母親は私の頭の上にいたイメージが、対等だと思えるようになってきて、そうなると急に母親が一人の哀れな老女としか思えなくなった。
私は生きるには親の助けが必要だと思い込んでいた
今まで私は親に頼って生きていた。一人では生きられないと思い込んでいた。
心の中はいつまでも小学生だったのだ。
それが変な話だが、私、本当は一人で生きられるじゃない!何をするのも一人で大丈夫じゃない!と気付いたのだ。
気づくと同時にとても心が楽になった。霧が晴れたとでもいおうか、スッキリして心も体も軽くなった。
本当にふしぎなのだけれど、重くのしかかっていたものが取れたような感覚。
でもやっぱり母と会うと腹立たしくてイラついてしまうことがあった。
そんな私も、この本を読んで母親のあの自己愛満載のとても理解不能な振る舞いにはよほど深い事情があるんだな。と考えることで母と本当に距離を置いて接することが出来るようになりました!
色んなブログで書かれていたことを心で理解できた
今まで私がここに書いてきたようなことは、親が嫌いな人向けのブログ記事にたくさん書かれていた。
私は様々な同じような記事を読んでそしてそうなのかな?こんな風に思えるときが来るのかな?親に甘えてる、依存してるってどういうこと?なんとなくそんな気はするけれど、どうしたらその依存や甘えを克服することが出来るの?と思ってきた。
彼女は母親ではなく一人の哀れな老女になった
彼女はもう私の母親ではなく、一人の人。
哀れな一人の老婆になったのだ。
そして、そんな老婆を優しく見守り手助けすることが出来るようになる日も近いと確信出来るようになった。
ここまで本当に長い道のりだった。
そのあとパターン化された親とのかかわり方を変えるのは難しかった。
それがこの本を読んできれいさっぱり、私の中の小さな子の怒りが落ち着いた。
もう私に親は必要ない
親に甘えない。
甘えるのは自分自身に、だ。
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