この記事の目次⇓
- 過去の辛く苦しく悲しい体験が成功体験に変わってしまった
- 私はある時期から自分の考えを人に伝えることが出来なくなっていた
- あっという間に過去が変わった
- どのように過去を変えたのか
- 過去の辛い体験の良い側面だけを成功体験と納得させる
- 私の主張を相手が受け入れるかどうかは、相手の考え方次第だということも実感を伴って理解した
- 過去が変わると現在が変わる
過去の辛く苦しく悲しい体験が成功体験に変わってしまった
私は親から頼まれたこと(些細な洗濯物を取り込むとかそんなことだったと思う)を忘れたり、やらなかったりしたときに、あなたは悪い子だと怒られた。
そういうとき親は「あなたは意地悪な気持ちでそれをやった」と私の人格を否定する発言をした。
「私はそうじゃない、そんな気持ちでやったんじゃない」と訂正するが聞いてくれず親は主張を変えない。
「いいえ、あなたはこういう悪い考え方でそれをしたのよ、悪い子だ」と言い募る。
私はどうしても親に誤解を解いて欲しくて泣いて訴えるが、全く聞いてもらえない。
なんで私の言葉や心持ちを曲解するんだろう、どうして私の話を聞いてくれないんだろうと悲しくて悲しくてどうしようもなく苦しくて。。。
この体験は何回思い出しても、親が分かってくれず、誤解されて悲しいという気持ちになる。
いまだに涙が出るほど悔しく悲しい体験。
しかし、今日、急に考えかたを変える事を思いついて、それをしてみたらなんと!あの悲しくて苦しい過去の体験が成功体験に変わってしまったのだ!
私はある時期から自分の考えを人に伝えることが出来なくなっていた
今もそうだ。
「何か意見を」と言われると頭が真っ白になってしまう。
なのでいつも適当なことを言ってお茶を濁してきた。
恐らく親に悪い子だと言われたときにそれは違うと主張するが、親は私の主張を受け入れてくれなかったから、何を言っても人は受け入れてくれないと原体験で心の底で思い続けている。
親に受け入れてもらえないのは、子供にとってものすごく辛いことなのだ。
だから私は大人になってもその時のことを思い出すと涙が出てくるほど悲しいのだった。
私は自分の意見を主張したとしても誰も受け入れてくれず、誰も聞いてくれず、悲しい思いをするだけだと思い込んでいるのだ。
あっという間に過去が変わった
ところが、だ。
今日気づいてしまった。
過去は変えられると。
実際私は今日変えてしまった。それもあっという間に。
私は、あの悲しかった体験を成功体験に変えてしまった。
実際に起こったことを変えることはできないが、自分自身の過去の体験の受け止め方を変えることで過去を変えてしまったのだ。
どのように過去を変えたのか
どのように変えたのかというと、私の自己肯定感を損なう相手の発言を、それは誤解だと主張出来た体験だとその枠組み・フレームを変えた。
そうしたら、一気に私の中で悲しく苦しい過去が、力強い成功体験に変わったのだ。
具体的にどのようにしたのかというと、過去の苦しく悲しい体験を2つに分けたこととそれを別々に位置付けたこと。
1. 良い側面 相手の主張は誤解だと自分の意見を言うことが出来た体験。
2. 悪い側面 私の主張を相手が受け入れなかった体験。
つまり、私は自分の意見を主張することは出来た。でも親は私の主張を受け入れてくれなかっただけ。
それだけじゃないかと気づいたのだ。
過去の辛い体験の良い側面だけを成功体験と納得させる
今までは悪い側面だけを見続けてきた。
親は私の意見を受け入れてくれなかった。
私のことを誤解して私を悪い子だと決めつけた。
いくら何を言っても聞いてもらえなかった。
悲しい、悲しいという過去の体験。
そんな苦しく悲しいという悪い側面ではなく良い側面だけを切り取って、それを成功体験と位置付ける。
つまり、過去の私は自分の意見を言うことが出来たのだから、今も意見を言うことはできるじゃないか!
そう、あの体験は実は成功体験だったんだ!と気づいたとたん、自分の中を稲妻が走ったような衝撃があった。
意見を言うことが出来たという良い側面をクローズアップさせることで、意見を言うことを恐れることはないのだと確信できた成功体験だと体が実感した。
そしたら次の瞬間、私は過去の負の体験を成功体験に変えることが出来てしまっていた。
私の主張を相手が受け入れるかどうかは、相手の考え方次第だということも実感を伴って理解した
私は主張した。
でも、私の主張を聞いてそうなのねと肯定するか、否定するかは相手の事情だ。
相手の考え方次第だということは頭ではわかっていた。
でも親にそれを当てはめてみたことは無かった。
私は主張すれば親なら受け入れてもらえるものと期待しすぎるところがあると頭ではわかっていたが、実際の行動べースで当てはめて考えてみたことは無かった。
でもあの悲しかった体験にそれを当てはめてみたら、親子の間でもそれは人間関係の法則として当てはまるんだと初めて気づいたのだ。
私は親に甘えていただけだった。
親子だから親は私の意見を無条件に受け入れなければならないと思い込んでいたけれど、そうではない。
親だって、感情的になって子供の主張を受け入れられないこともあると、やっと理解できた。
上で書いた、2の悪い側面の主張を相手が受け入れなかった体験を親子関係というところから一般的な人間関係というところまで広げることで、頭だけでなく実感を伴って理解できたのだ。
私は悪いことを考えてそれをやったのでは無いと主張した。
でも母親は、私が悪い子だからそれをしたと言う。
いや違う、そうではない、私は悪意なんか持ってない、と言い募ったが親は認めない。
こんな場面でも、私の意見や主張を認めるか認めないかは、親の自由だったんだ!ということに気づけた。
そうしたら、完全にあの悲しかった体験を乗り越えることができたのだ!
過去が変わると現在が変わる
不思議なもので、思い出しただけで悲しくて涙が出てくる過去の体験だったのに、あれ以来思い出しても心が動くことは無くなった。
あぁ、そういうこともあった。
親が私を受け入れてくれないこともあったと、過去を事実として受け止めるだけでなく、事実として受け入れることが出来ている。
だから涙も出ない。当然だ。
そして、私は自分の意見を主張できた過去がある。
私は意見を言うことが出来る。
でも、私の意見をそうだねと言うか、いや違うと言うか、それは相手次第だと、頭ではなく実感として感覚として自分の中に染み入ってくるのを感じている。
それが自分の中で確定的になり、確信になるまでにはもう少し時間がかかるかもしれない。
相手に期待する気持ちはまだまだ残っているからだ。
それでも意見を言ったとしても相手に悲しい思いをさせられると思い込んでいた私はもういない。
賢い女は男を立てる サレンダード・ワイフ (知的生きかた文庫)