サレンダードワイフと神様 surrenderdwife’s diary

サレンダードワイフを実践して夫と仲良し家族円満になった私の体験ブログ

犯罪行為を正当化する人も辛い過去を傾聴することで変化するかもしれない

焼肉屋の経営者とその家族が従業員に暴行をして逮捕されたニュースを見た。

暴行をした理由はその従業員がお店のお金を使い込んだからというものだった。

例えお金を使い込んだとしても殺すことまでしなくていいだろうと思うけど、

悪いことをする人は自分の中の正義があって、それを理由にその行為が悪いことと分かっていてもするんだなと改めて感じた。

 

 

最近、犯罪行為をしてしまう子供や大人がどのような育ち方をしてきたかを書いた本や、そういう人たちを更生させようと努力している人たちが書いた本をよく読んでいる。

犯罪行為をする人たちは、悪いことと分かっているが、それよりも自分の中の正義を優先する。

 

例えば、全く知らない人を殺した死刑囚にどうして何の所縁もない人を殺したのかと聴くと、

自分を子供の頃から育ててくれた暴力団の組長の頼みだから。

自分は組長に大変な恩義を感じている。その組長が困っているなら何でもしてあげたかったという。

恩に報いるということならば、この人の心根はとても素晴らしい。

でも、やったことは人としてあってはならない大変なことだ。

例え恩義を感じている人から頼まれたことでも、やっていいこととそうでないことの判断がつかないのだ。

 

ニュースの経営者家族は、従業員がお金を盗んだからという理由で暴行を働いたが、

普通の感覚では、暴行をしてよいという理由にはならない。

でも、彼らの中の正義に従って、暴行をしてはいけないという常識より悪いことをした人には暴行をしてよいという自分たち独自の正義を貫いた。

 

悪いことをする人たちは常識からすると屁理屈と思われる理由ではあるが、彼らなりの理由でもってことを起こす。

そういう彼らの独自の正当性を主張する理由を考え出すようになった辛いきっかけや育ち方があるはずなのだ。

いや、あるのだ。

 

彼らの過去の辛い体験を心ゆくまで誰かに聴いてもらえたら、もしかしたら彼らはこんな事をしてもよいと思うような正義は持たなかったのではないかと傾聴を学び実践する私はそんな風に考えてしまう。