私は夫に一挙一動を監視されていると言ってもいいくらい、夫は自分の気に入らない行動を私がすると、いちいち指摘してくる。
それはちょっとしたことで私の考え方と違うので、どっちだっていいじゃない?と思うようなことなのだ。
私はそれが鬱陶しくてたまらなかった。
例えば、お箸をテーブルに直接置くと「お箸をペタッと置かないの!」と言う。
取り込んだ洗濯物をカゴに入れず畳に置きっ放しにすると「せっかく洗濯したものが汚れてしまうでしょう!カゴに入れなきゃダメだよ!」
「よそ見をしない!」
とかね。
ただ、夫の言い方は笑いながらだったりするので、まだ救いがあった。
だから私は何回も同じことを言われても平気だったのだろう。
夫の指摘は今でも変わらないが、夫が私が心配でたまらない、というようなことを言ったとき、驚いた。
私はてっきり私のする事が嫌だから指摘するのだと思っていたからで、私を心配しているなんて思いもしなかったからだ。
そして夫が今まで私のすることを気にしていたのは、愛情からだったのか?と夫に対する見方が少し変わった。
だとしても、やっぱり逐一自分の行動を見張られて指摘されるのは鬱陶しくしてうるさいなという気持ちが半分は占めていた。
ところが昨日、やはり夫は私に注目して色々言うのだが、私は以前より気になってないことに自分自身で気がついた。
そして夫に気持ちを聞いてみた。
「そうやって言うのは私が心配だからなんでしょう?」
すると夫は意表を突かれたような様子を一瞬見せたが「そうだよ。」とだけ一言。
「そうなんだね。」と私。
同じことを言われても、それを良く受け取る人と悪く受け取る人がいる。
物事は受け取り方の問題もあるとは思っていたが、こんな事にも当てはまるんだなぁと思った。
夫の指摘に対していちいちうるさく言って嫌なやつだなとネガティブに受け取るか、私のために言ってくれていると感謝で受け取るか。
受け取り方が違うだけだ。
うるさい夫は変わらない。
でも私の受け取り方が変わるとストレスが減るんだと実感した。
この受け取り方が出来るようになったら、夫から指摘されたとき「ありがとう」と言えるようになるかも知れない。
夫を心から尊敬し、感謝する妻に少し近づける。
そして、私のこの受け取り方が定着してありがとうが普通に言えるようになったら、夫の自己肯定感もアップする。
そうしたらきっと夫もうるさく言わない人に変わるのだろう。
ちょっと楽しみが増えた。