神様は「妻は夫に対して、戦前の女中のように、ハイハイと言える妻であること。」と仰る。
私はここのくだりが書かれているおさとしを毎日ご神前で読んでいる。
毎日読んでいるのに出来ない。
今日も出来なかった。
昨日もできなかった。
なんではいと言えないのかなといつも考える。
そして今日の、そのときのやり取りを思い出すと、こんなことがあった。
まず、お魚を夫に買ってきてもらったのだが、我が家は三人なのに2匹しか買ってきてなくて、夫にお魚が二匹しかない、と言うと、私が昨日二匹と言ったからとのたまう。
私は静かにそんなこと言ってない、と言うと、夫はだって昨日おまえが二匹って言ったから、ほらここにもそう書いてある、とスマホのメモを見せる。
言ってない、と言いながらキッチンへ消えていき、取り残された夫は複雑な表情のまま。
夫は昨日酔っていたのできっと二匹と間違えたのだろう。
でも絶対自分の間違えを認めないし、謝らない夫に私は常日頃から腹立たしく思っていたので、功徳のおさとしの真反対の行動に出てしまった。
こんなときは、本当なら、そう?二匹って私が言ってた?ごめんなさい、と言わなければいけなかったのだ。
お夕飯を作ってテーブルに並べたら、量が足りないのでは?と言われた。
いつも結構多めに作って翌日まで余ってしまうので、今日は余らないくらいの量にしたら夫は足りないと言う。
それで、私はお腹いっぱいだからおかずを食べないからお父さんたくさん食べて、と言った。
すると夫はなんとなく不満げだったので、私は何か作ろうか?何がいい?と聞いた。
そりゃ不満げだよね、皮肉たっぷりの言葉だよね、お夕飯食べる前なのにお腹いっぱいのはずないもん。
なんでもいいよ、と言うのでじゃあこれは?これは?と提案するが、却下される。
夫が食べている間、私は席に着かずキッチンで洗い物を続け、その合間に私はご飯と納豆で食べようと思ってテーブルに納豆を出して置いた。
すると夫は納豆で食べるからいいよと言った。
私は、おかず、全部食べていいからね、残さなくていいからね、と言った。
なんか、私意地悪っぽいかな。。。
ちょっと意地悪入ってるよね。
結局おかずを残した夫はこれ食べていいからね、と私に言い、夫は納豆を食べ、私はお父さん食べなよ、と言っておかずを食べず、最後におかずは冷蔵庫にしまわれた。
夫も私も意地を張っているなぁ、これを読み返すと。
でも、信仰している私が折れなくちゃいけない、それでなきゃ信仰してる意味がない。
あぁ、難しいな。
ハイって言いたくないんだわ、私。
夫にぎゃふんと言わせたいんだわ。
私が折れるなんて、むかつく!って思ってるんだわ。
夫は自分が悪くても間違っていても絶対謝らないし、間違ってるって言わないし、逆に私が悪いと言い募るし、なんで?むかつく!って思ってるんだわ。
そんな思いがあるのに、ハイハイ、なんて言えるわけがない。
夫をとっちめてやりたいって思ってる。
この心を変えないといけないんだわ。