- 子供の「ママ、見て見て!」にはどんな意味があるのか?
- 自己肯定感を育てるには子供の「見て見て!」が満足することが大切
- 自己肯定感が育つ。周りの人々の反応で自分を誇りに思う感性が養われる
- ルールを守れる人は自分を誇りに思う感情がある
- 子どもの心をひとことで表す言葉『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ』
- 子供はいつも親の愛情を感じていたい
- 中学生になっても高校生になっても、ママに見てほしい子どもの心
子供の「ママ、見て見て!」にはどんな意味があるのか?
子供が砂場から大声で「ママ!見て見て!プリンが出来た!」と叫んでる。
ほかのママと話を中断して砂場まで行って「美味しそうだね!上手にできたじゃない!」
鉄棒で逆上がりをしてる子供。
最近上手にできるようになって得意顔。
「ママ!!見て!ほら!逆上がりできた!」
プラレールで遊んでいる子供。
上手にレールを組み立てて電車を走らせることができるようになってきた。
「ママ!見て見て!こんなに大きな線路を作ることができたんだよ!」
そのたびに今やっていることを中断して「すごいね」「よかったね」とほめてやらなければならない。
なんだか、最近疲れてきたよ。
って思うママも多いと思います。
この見て見て攻撃に似た状況で育つ感情を心理学では「ソーシャル・レファレンシング」といいます。
この言葉は乳幼児精神医学の世界的な第一人者のコロラド大学のロバート・エムディと言う方の言葉だそうです。
自己肯定感を育てるには子供の「見て見て!」が満足することが大切
子どもがはじめてのできごとにたいして「どうしたらいいのかな」と振り返ったときに、親や祖父母や保育者などがそばで見守ってくれていて、どうしたらいいかを教えてくれる。
子どもは周りの人たちの行動などを参考にしながら育っていくのだそうです。
そういうことを通して育っていく自分をほこりに思う感情のことだそうです。
自己肯定感が育つ。周りの人々の反応で自分を誇りに思う感性が養われる
たとえば今までひとりで靴を履けなかったのにいま、偶然履けた!というとき。
後ろを振り返ったらママが見守ってくれていて、一緒に喜んでくれた。
園服のボタンをひとりでははめられない。
どうやってやるのかな?と周りを不安そうに見回すと、保育園の先生が優しく教えてくれた。
こんなときにソーシャル・リファレンシング(自分を誇りに思う感情)が豊かに育つそうです。こういうときに自己肯定感が育つのです。
逆に、「あれ?どうしたらいいかな?」「どうしようかな?」と思うような場面で後ろを振り返っても、誰も自分を見ていてくれなかったり、そばにいてもスマホを見ていて自分を見ていてくれなかった。
こういう経験を多くしてきた子どもは、ソーシャル・リファレンシングの感性(自分を誇りに思う感情)が育っていないのです。
周りの人たちの反応を参考にしようにもできないので、そういう感性(自分を誇りに思う感情)が身に着かないのだそうです。
ソーシャル・レファレンシングは人と人が共感しあって、そのことを誇りと感じあって生きるために必要な感情なのです。
ルールを守れる人は自分を誇りに思う感情がある
ソーシャル・リファレンシングは人間が世の中のルールを守りながら生きていくための需要な感情で、この本の中のエピソードとして書かれているのが、
駅の点字ブロックの上に自転車を置いていく人に向けて「ここに自転車を停めないでください」という張り紙が掲示されたら、自転車を置くことをやめる人とやめずに自転車をそのまま置き続ける人といる。
自転車を置き続ける人はソーシャル・リファレンシングの感情・感性がとぼしい人、自転車を置かずに歩こうとかバスに乗ろうとか頭を切り替えられる人はソーシャル・リファレンシングの感性が豊かな人と言えるとのことです。
つまり、見て見て!に応えてあげるというママの行動は、子どもが自分自身をほこりに思う感情を育てているということが言えるわけです。
つまり自己肯定感を育てるためには見て見て攻撃に応え続ける必要があるってこと。
大変ですが、ほんの数年のことです。頑張って!
子どもの心をひとことで表す言葉『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ』
『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ』 は、今は亡き私の中学時代の校長先生が仰っていた言葉です。
「かえるちゃんね、子供はね、『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ』 なんだよ。」と、校長先生は言いました。
そのときどんな会話をしたのか覚えていません。
中学卒業後、PTAで役員ををしていた母親と仲の良かった校長先生が、たまたま我が家に遊びに来たときに、確か少しお酒が入っていたような気もしますが、仰った言葉です。
当時私は高校生で思春期で親に良い感情を持ってなくて(要するに反抗期ですね。)イライラしていました。
私の両親は厳格な怖いタイプの父親と明るいけれど口うるさい母親の組み合わせです。
今考えると母親に対しては「うるさい!うるさい!うるさい!」と思っていましたし、父親に対しては「怖い、何も言えない。本音なんて絶対話せない。」と思っていました。
親だけでなく身近な大人にもイライラしていました。
ですから大人の言葉を素直に聞ける状態ではなかったんです。
それなのに、この言葉だけはすっと入ってきて、今でも忘れません。
子供はいつも親の愛情を感じていたい
上の子が生まれてまだ赤ちゃんの頃、あるときふっと思い出しました。
『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ。』
あぁ、校長先生がそんなこと言ってたなぁ。
この子も『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ。』って思うのかな…って。
そして子育てで悩んで様々な本を読んでいるうちに、自分の親との関係や親からの言葉や養育態度など思い出すとき、この言葉がセットで浮かんでくるのです。
子供はいつも親の愛情を感じていたいという意味なんだ」、とひざを叩いたのはずいぶん経ってからでした。
下の子が小学校低学年のころ紙飛行機に凝っていました。
遠くまでよく飛ぶ飛行機、ひらひら飛ぶ飛行機、くるくる回転する飛行機など、様々な飛行機を作っては飛ばし作っては飛ばします。
そのたびに「お母さん、見て!」
そして「この飛行機はこうやって折るんだよ。そうすると早く飛ぶんだよ。でも僕は滞空時間の長い飛行機のほうが好きなんだ。」と話しかけてきます。
お夕飯の食事作りの時間で忙しいのです。
空腹の子どもたちのために急いで食事を作ろうとしているときです。
でも「見て!」と言われたら子どもを見ます。
そして話しかけてきたことには「滞空時間の長い飛行機が好きなのね。」と返します。
宿題をするときは食卓テーブルでしています。
今思い返しても子どもは本当に『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ』 だなぁと思います。
中学生になっても高校生になっても、ママに見てほしい子どもの心
さて、『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ』という言葉は私の中に2つある育児格言のうちの片割れです。
※ちなみに2つあるうちのもう一つは「お母さんが好き、お母さんも私のことが好き」です。
本当に子どもは『見てよ、聞いてよ、そばにいてよ』だなと今でも思います。
わが家は上の子が大学生になって、そのころ下の子は中学生でしたが二人とも『見てよ、聞いてよ』でした。
さすがに『そばにいてよ』は無くなりましたが。
上の子は高校生まではギターで曲が弾けるようになると、夕飯後突然ギターを肩にかけた姿でリビングにやってきて、一曲弾いて去っていく、ということをやっていました。
今思い出しました。
『見てよ、聞いてよ』ですね。
上の子は大学生になったら、それは無くなりました。
子どもっぽい『見てよ、聞いてよ』は本当に無くなりました。
でも、下の子は大学を卒業してもなお、今まだ『見てよ、聞いてよ』があります。
自分が話したいことがあると機関銃のように話しかけてきます。
私が忙しそうにしていてもお構いなしです。
疲れたとき苦しい時、心を満たしてもらいたいと思う気持ちがまだ続いているのですね。
これは大人になっても続く、基本的な承認欲求なのでしょう。
そして、そばにいてもらえなかった子は思春期になっても大人になっても本当は『そばにいてよ』なのかもしれません。
それを親に言えないから異性に求める状況があります。
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私が佐々木正美先生のことを知ったは、上の子の幼稚園の園長先生がこの本を紹介してくれたからでした。
「20歳のうちの子に佐々木先生のおっしゃる通りにしたら変わったのよ!これ、本当におすすめだからぜひ読んで!」ってこの本を貸してくれたのが最初です。
20歳でも効果があるのだから、幼児や小学生だったらもっとすごいよ、と。
実際、今の私も園長先生と同じ気持ちです。
佐々木先生はもうお亡くなりになってしまいましたが、臨床の現場でずっと子供たちに接してきた児童精神科のお医者様でした。
私は先生の講演には何回も出かけてその優しい語り口のお話を聴きました。
穏やかな暖かい話しをしてくださる先生で、お話を聞いて帰るときには早く子供たちに会いたくてたまらなくなるほど子供たちが愛おしくなりました。
子どもの心を育てることでメンタルの強い子や社会性のある子に育ってほしいと思われるならこの本を読んでみてください。
子育てってこんな風に考えたら簡単なんだ!ってほっとしますよ♪