イベルメクチンを毎日2錠飲むようになって、感染4日目にしてお腹が空いてきた。
それまではご飯を食べることはすっかり忘れていたというか、全く意識の上に上ってこず、キッチンで何かを調理している音が聞こえても、食べたいという気持ちにはならなかった。
ところが、4日目になって、体が楽になってくると同時に、久しぶりにお腹が空く感覚が戻ってきて、何か食べたいと思うようになった。
そこで、子供に頼んでレトルトのお粥を買ってきてもらい、それを温めて食べたのだが、やはりずっと食べていなかったからか、お茶碗一杯も食べられなかった。
お腹が空くのに食べられないのはちょっと悔しいというか、寂しいというか、何とも言えないものが。
話が変わるが、健康観察電話は毎日あった。
10時くらいに診察してもらった病院の看護師さんから電話がかかってきて、体温とその日の体の様子を伝える。
3日目までは話すのも困難だったが、4日目以降は食事ができるようになったからか?話しができるようになっていた。
ところが、その日から喉が急に痛くなり出した。
せっかく食事ができるようになったのに、飲み込むと喉が焼け付くように痛い。
咳をしても痛い。痰が絡む。
翌日(5日目)になって喉の痛みは急速に消えていった。
(イベルメクチンのおかげ?個人の感想です。ご注意ください。)
ところが、今度は声が出なくなった。
毎日の看護師さんからの健康観察電話も今度は声が出ないために話すことができない。
ということで、夫が代わりに話してくれた。
5日目になると熱も36度台をキープし、体がとても楽になった。
それを伝えてもらう。
すると、看護師さんは、熱が下がったら、昼間は体を起こしていた方がいいですね、と仰った。
皆さん、復帰してから大変みたいなので、少しずつでいいから体を起こしているようにしてくださいねと。
私はその時はまだ寝ている方が楽だったのだが、看護師さんにそう言われたので、ダイニングテーブルに座って、録画してあった韓国ドラマの続きを観ることにした。
ところがやっぱりずっと起きていると疲れてしまう。
そこでダイニングテーブルを動かして広いスペースを作り、そこにお昼寝布団を持ってきて、寝ながら観ることにした。
5日目からは毎日、朝起きたら、ダイニングテーブルを移動させ、お昼寝布団を持ってきて寝ながら韓国ドラマをみる日々が続いた。
子供や夫は端に寄せられたテーブルにちょこんと座って食事をすることになったが、私に文句は出なかった。
また、声が出なくなった私の喉は、痛くはないのに8日目くらいまでは全く発声できなかったが、9日目には嘘のように普通に話ができるようになっていた。
看護師さんから、明日熱が37.5°を超えてなければ、療養期間終了です。というお話があった。
体も普通に動けるようになっていて、家事ができるようになっていた。
保健所からは、コロナ感染の証明書が療養期間が明ける3日前に届いていた。
なかなか証明書が来ないという話は聞いていたが、ずいぶん改善されているんだなと思った。
イベルメクチンは5日目まで飲んでそれ以降は飲まなかった。
処方された薬ではないので、熱が下がったのでそれ以降も長く続けるのもどうかなと思ったからだ。
10日目に看護師さんから、明日から外に出ていいですよと言われた時は、やっと治った!という気持ちと、明日から仕事に行くのはかったるいという気持ちの半々だった。
翌日会社に出社して、皆さんにご迷惑をおかけしましたと伝えると、大変だったねと言ってくださったのでホッとした。
その日は定時まで仕事をしたが、帰宅してとても疲れていたので、何もせず寝てしまった。
やはり家事はしていたが、疲れると横になって過ごしていたので、横になれない会社での生活はまだ病み上がりの体にとってはきつかったのだと思う。
今は通常運転に戻っているが、以前と同じくらい完全回復したと思えるまで、出社後10日間くらいかかった。
それまでは毎日日に日に調子が良くなってるなと思っていた。
昨日より今日、今日より明日という感じに。
コロナ大したことないだろうと高を括っていたが、実際はひどい症状に見舞われて、私としては交通事故に遭ったような感覚になってしまった。
でも症状はほんと、人によって違うから、なんとも言えない。
夫はただの風邪症状で、普通に暮らしていたから。
私は正直、PCR陽性=コロナ感染とは思っていない。
私がなった病気も新型コロナウイルス感染症なのかどうかもわからない。
でも国がそのようにいうのだからそうなんだと周りに言うだけだ。
そして、イベルメクチンが劇的に効いたので、コロナだったのかもしれないなと思う。
(個人の感想です。)
でももう二度と罹りたくない。
それくらい苦しい10日間の療養生活だった。